映画『わたしの知らない子どもたち』戦争孤児が生きのびる話し。「火垂るの墓」清太とは違った人生。

映画

母の戦争体験を何度も聞きました。

終戦当時、母は7才。実家は新潟県の農家で、身近に都会から疎開してきた子どもたちがいたこと、長岡が大空襲でやられて空が真っ赤になっていたこと、空襲警報が鳴り何度も避難したこと、とても怖かったこと。

戦後になると米兵がジープでやってきて子どもたちはチョコレートやガムをねだったこと、近所の貧しい家の子は学校にお弁当を持ってくれなくてお昼休みになるといつも水を飲んでいたこと、着物や反物を持ってきた人に米や食料品を物々交換したこと。

戦後生まれが大半をしめる今、リアルな戦争と戦後を語れる日本人はもういなくなるでしょう。

この前観たドイツ映画「白パンと独裁者」でも12才の少年が疎開先で、農家の手伝いをしてわずかな収入を得ていた様子が描かれていたけど、家族や家を失った都会の子どもたちは本当に大変だったと想像します。戦後の闇市で万引きして逃げる少年は映画やドラマでありがちですが、女の子はどうやって生きのびたのか、今まで考えたこと無かったけど、危険な事がたくさんあったのではないでしょうか。

琴子の話

主人公は12才の少女・茅野琴子(小八重阿葵美)。父親が音楽家で、ハイソサエティな家庭で育ちます。自身もピアノが得意です。
戦争が終わり、子どもたちと先生は列車で上野駅に戻ってきます。友達は家族が迎えにきたけど、琴子には誰もきません。先生は大きなお腹を抱え出産直前で自分のことだけで精一杯。
琴子は一人で生きて行くことを余儀なくされますが、女の子のままでいると危ないと分かり、髪の毛を短く切り、渋い色の服を着て「吉田茂男」と名乗り、男の子に成りすまします。

上野駅周辺で浮浪児と呼ばれる親のいない子どもたちに助けられ、仲間になって行動を共にし、やがて闇市を仕切るヤクザの手伝いをするようになります。
今は子どもの数が少ないので社会の宝ですが、当時はもうゴミのような扱いです。大人は平気で汚い言葉で罵ります。そんな彼らに声をかけ、居場所や仕事を与えたのはヤクザの菊沢でした。子どもたちにも少々危ない橋を渡らせたりしますが、彼らも生きていかなければなりません。
ともに支え合いながら生きる仲間は、琴子にとってとても大事なものになっていきます。

文美子の話

朝ドラ「あんぱん」でも主人公は尋常小学校で教え子たちに愛国教育をしていましたが、終戦を迎えると間違えた教育をしたと自責の念から教師を辞めます。
この映画でも担任教師だった曽根文美子(二階堂ふみ)は、戦争で婚約者を失うという被害者だけど、子どもたちには愛国精神を説き、「戦争はいつ終わるの?」と聞いてきた子どもにイライラを隠しませんでした。ある意味軍国主義の加害者でもあります。
文美子もやはり教師を辞めます。路頭に迷い、幼い子どもを抱えて、お金のために、進駐軍の慰安施設で働くことになります。もう生きる気力を失っていますが、琴子の父親の友人が琴子を探していることを知り、かつての教え子を案じて立ち直っていきます。

仲間ごと警察に捕まり、無人島にある不良孤児の矯正施設に送られます。一見いい所みたいだけど、そこは弱肉強食の世界。上野の仲間と夜の海をボートで逃げ出し、命を失う寸でのところを漁師の夫婦に助けられます。漁師夫婦を役所広司さんと田中裕子さんが演じています。漁師の妻は琴子が男の子のかっこをした女の子だと知ると、生理の時使用する丁字帯を縫ってあげます。一見厳しそうだけど、そのまなざしの優しいこと!施設の中で初潮を迎えるのですが、本人も周囲もどうしていたのでしょうか。

子どもたちはオーディションで選ばれており、みな演技が素晴らしいです。いくつかのエピソードのどれもリアルに感じました。琴子と行動を共にする将吉、小山、アオモリ、小林、マー坊。琴子の心の優しい友人・ゆき。脇役の大人たち、新聞記者役の板東龍汰さん、父親役の竹野内豊さんも良かったし、ヤクザの親分役の岡田准一さんも、目がキラキラした生きる活力に溢れた魅力的な人物でした。
孤児院に保護され、緊張感のある日常から次第に平穏な気持ちを取り戻す過程も良かったです。琴子と将吉の別れのシーンもじんわりと感動しました。

映画を観るまで「わたしの知らない子どもたち」という題名なので、二階堂ふみさんが主役だと思っていました。どうも違うみたいだと途中で気付いて、「わたし」というのは、大人たち全員を意味しているのかなと後から考えました。戦争孤児の困難を改めて思い知る良い映画でした。

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