『ドライブ・マイ・カー』(2021年)で第74回カンヌ国際映画祭脚本賞など4冠、第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督の新しい作品です。
今作品も第80回ヴェネチア国際映画祭では銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞しました。
『悪は存在しない』というタイトルに惹かれて拝見しました。なので、アクションものかバイオレンスかと思っていました。
長編小説を読んで、途中でパタンと閉じてしまったような映画です。
延々と続く冬の森を、下から見上げて撮っています。木々の枝がスクリーンの上から下に流れ、空は曇っています。
不穏で緊張感を含んだような音楽が流れ、これはいつまで続くのかなと思ったところでようやく場面は変わります。
長いシーンでしたが、心地よさを感じます。
男性がさっきからずっと薪を割っています。斧がまっすぐ下に振り落とされ、薪が真っ二つに気持ちよく割れます。
今度は泉に移動し、さっきの男性ともうひとりが加わり、ふたりで湧き水を柄杓でくみボトルに入れ、車に積み込みます。
これを何度も繰り返し往復し、重たいボトルをいくつも積み込むのです。
長野県の自然豊富な高原で、便利屋として働く巧(大美賀均さん)は小学生の娘の花(西川玲さん)と慎ましく暮らしています。
ここに、グランピング場を作る計画が持ち上がります。住民達は戸惑いますが、住民説明会が開かれ、おのおの出席します。
若いふたりの社員が東京からやってきます。ひとりは高橋(小坂竜士さん)、もうひとり黛(渋谷采郁さん)と名乗ります。
だけど、あまりにずさんな計画に住民達から次々と意見や質問が投げかけられます。住民達の真剣な質問に高橋達は答えられず、一触即発の雰囲気になります。黛は、勉強不足を詫び一旦社に持ち帰るとして、説明会を閉めます。
登場人物全員にリアリティがあり、その地域の本当の生活者のように見えます。
高橋は素直な性格でなんでも顔に出てしまうように見え、少し引いて見ている黛は頭の良さを感じさせます。
場面は変わり東京です。
会社は芸能事務所で、コロナ過で落ちた売上を政府からの補助金目当てで計画したものでした。
社員はずさんさを自覚しており、社長にこの計画は無理があるので止めたほうがいいと進言しますが、コンサル会社の担当者は強気で聞く耳をもちません。
ふたりは高級なお酒を持って、巧に取り入ろうと再び長野の高原に向かいます。
長野に行く道でふたりの過去が明かされます。高橋は元役者だったが諦めて芸能プロダクションで働いていること。
黛は福祉関係の仕事をしていたが、心を病んでしまい、正反対の仕事をしようとこの仕事を選んだこと。車中、高橋は次第に今の仕事を辞めたい気分になっていきます。
やがて長野に着きます。、巧は即座にお酒を断ります。ふたりは巧の水くみの仕事を手伝います。
「あそこは鹿の通り道なんだ。そのとき、鹿はどこへ行くんだ?」と巧はたずねますが、高橋は上手く答えられません。
そうこうしている時、巧はひとり娘の花のお迎えを忘れていたことに気づきます。家にもいません。高橋と黛も協力して花を探します。夜が更けてきて、町の人々も加わります。花を呼ぶ声が響きます。。
ストーリーに複雑さはなく、単純ですが、奥が深いというか、正直謎です。
森の映像は美しいですが、少し不穏な音楽と混ざり合って、夢をみているような感覚です。
音楽がブツっと途切れて止まり、その都度、現実に引き戻されるような気がします。
娘の花のまなざしが美しく、2014年生まれの少女は大人びた表情を見せて、ミステリアスです。彼女だけリアリティが無く、自然の象徴のような存在です。
最後の方のシーンは、夢か現実か分からない雰囲気がします。
野生の手負いの鹿と花が対峙して、どちらも動けません。手負いなので、物音がすれば何をするか予測ができません。
高橋が花を発見し動こうとした瞬間、背後から巧が追い被さり首を絞めます。なぜ、首を絞めたのか。それ以上自然に深入りするなという警告のような気がします。
誰もいない森の中に高橋がひとりで倒れています。ハァハァと息づかいが聞こえてきます。
タイトルの「悪は存在しない」ですが、なぜこのタイトルなのか考えました。
森林や野生動物などの自然の中に人間が浸食していくような気がします。人間が悪という意味でしょうか。
結局のところ、人間は自然の力には勝てません。いつも負けています。
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