映画『黒川の女たち』「乙女の碑」の地蔵菩薩の美しい顔が印象的。旧満州からの引き揚げ時、性接待を強いられた女性たちの実話。

映画

ドキュメンタリー映画を観ました。
終戦後の旧満州で、襲撃から人身御供となり、開拓団を守った女性たちの実話です。

とても辛い内容で何度も涙をこぼしました。他の方も泣いていました。

満州国への入植は日本政府の国策で推進され、1931年(昭和6年)から終戦の年まで続けられました。
「貧乏人は満州に行け、農家の次男三男坊は満州に行け。」と言われ、岐阜県の黒川開拓団も650名程が満州国へ行き、丸5年その地で生活します。

1945年8月15日に終戦となりますが、その1週間前にはソ連が日ソ中立条約を破棄し、満州に攻め込んできます。関東軍は先に逃げていき(この卑怯者!)、男性たちも招集されていますから、その場にいるのは子どもと女性と年寄りばかりです。

もともと中国人の土地を奪って建国したのですから、地元民からも襲撃され、生きのびて日本にたどり着いた人々はどれほど過酷だったのかと想像します。

ウィキペディアによると、敗戦時に満州移民は31.8万人、そのうち7万8500人が戦死、自決、病死、餓死、凍死で亡くなったそうです。

集団自決する開拓団もあるなかで、黒川開拓団は生きて日本に帰ることを決めます。敵であるソ連軍に助けを求め、ソ連兵は代わりに女性を差し出すよう要求します。

そこで選ばれたのが17才から21才の未婚女性15名です。接待と聞かされ、女性たちはお酒を出してお相手することだと思っていたそうで、連れていかれた建物に布団が敷かれていたのを見て、ようやく意味を理解したそうです。

雑魚寝状態で、泣きながら「お母さん」と呼ぶ声や、手をつなぎながら耐えたという証言が辛いです。

ある女性は当時小学5年生で、彼女たちのお風呂を沸かしたという話しを、別の女性は病気と妊娠予防のため冷たい水で大事なところを洗浄したということを話され、その時のことを地獄のようだったとも話されました。

ようやく1年後に帰国しますが、今度は彼女たちを誹謗中傷が襲います。村を追われ、それぞれが違う場所で生きていくことを余儀なくされます。この事はずっと隠されてきました。
長年トラウマに苦しみ、笑顔を忘れた女性もいました。

これはあまりにひどくないですか?大勢の人々を救ったのですから、村をあげて良い縁談先を探してくるなり、褒美を贈るなり、それが筋というものではないですか?

やがて2013年、二人の女性がこの事を公の場で明かします。続けて幾人かが証言を始めます。その告白をきっかけに遺族会、地域の方、お子さんやお孫さんたちは、被害女性に寄り添い、彼女たちの犠牲を碑文として残そうと活動を始めます。

1982年に現地で亡くなった4人の慰霊ために「乙女の碑」といわれる石像が建ちますが、その隣に説明板が建ったのは2018年です。負の歴史を隠さず残しました。それと同時に遺族会会長が謝罪します。

遺族会会長さんの、自分の父親が性接待の呼び出し係だったという事実は耐えられない辛さだったと思います。女性たちから「あなたのお父さんが来るのが怖かった」と言われます。私だったらとても耐えらず、申し訳なくてその女性たちの顔を見ることが出来ないでしょう。謝罪するのも勇気が入ったことだと思います。

告白後に家族の励ましを受け、トラウマから解放された女性もいました。笑顔を取り戻した様子に長い年月を経てようやく救われたのだと思いました。

パンフレットには満蒙開拓団の歴史や、解説、取材・撮影秘話も載っていて、歴史の一部を知ることが出来ます。

戦争は本当にいやです。早く世界から争いが無くなりますように。神様お願いします。

時折映される地蔵菩薩の顔が美しく、その時だけは心が和みます。

監督は松原文枝さん、語りは大竹しのぶさんです。

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