映画『金子文子 何が私をこうさせたか』喧嘩上等!国家権力に抗い獄中死した23才の生涯。

映画

金子文子、名前だけはなんとなく知っていました。

でも何も知りませんでした。

金子文子は大正時代に生きたアナキストです。

1923年の関東大震災後の大変な時に予防検束という名目で、不逞社を一緒に組織した、同志であり内縁の夫でもある朝鮮人朴烈と伴に逮捕されます。

皇太子を爆弾で殺害しようと計画を立てたという、でっち上げの罪です。文子も朴烈も冤罪を主張しないで、日本の国家と戦う決意をします。

なぜ冤罪を主張しないのかと思いますが、予審中に文子は天皇制否定を論じたため、大逆罪で死刑判決を受けます。

文子は不適の笑みを浮かべ「万歳!」を何度も叫びます。周囲は騒然としています。

もう最初から辛くて、見ていられません。

1926年、恩赦で無期懲役となりますが、その場で減刑状を破り捨てます。それから栃木女子刑務所に送られます。

刑務所の所長から「天皇のご慈悲により恩赦にしたから感謝して恭順の意を示せ」と言われ、文子は怒り心頭になります。天皇制を批判しているのにそんな事言われたら、そりゃ頭にきますよ。悪い人ではないけど、よかれと思っている所長にはそのことが全く理解できません。

独房の中でハンガーストライキをしたり、大切な本を取り上げられ、皮手錠で拘束され、怒りまくり叫びまくります。かなり強烈です。

回想シーンで過去の人生が描かれます。

1903年生まれ。出生届けが出されず「無籍者」でした。

両親に育児放棄され、9才の時に朝鮮半島で暮らす祖母の家に引き取られます。祖母の家でもまったく愛情をかけてもらえず、奴隷のようにこき使われます。13才で自殺しようとしますが、「苦しめている人々に復讐してやる」と思いとどまります。

植民地支配や独立運動を目撃し、国家権力を批判するようになります。16才で日本に戻され、その後東京でキリスト教、社会主義、無政府主義、虚無主義を学びます。

誰からも大事にされない人生です。権力を憎み、天皇制に反対する、ある意味「無敵の人」です。

文子は独房の中で手記や短歌をひたすら書き続けます。

文子以外の人物にも様々な人生があります。

予審判事の立松は、自分の母親に結婚写真を見せたいという朴烈の希望をかなえ、文子とのツーショット写真を撮ってあげます。そのことが後々自分の立場を悪くしてしまいます。

隣の独房では年老いた女囚が始終念仏を唱えています。うるさいと文句を言う文子に女監取締がそっと教えてくれます。なんでも農家の嫁で、家に火をつけ家族全員死なせたという、想像を絶することがあったに違いありません。

文子を改悛させるために呼ばれた教誨師たちは、真摯に向き合いますが、とても改悛など出来ません。

女監取締たちは文子に一目置くようになり、刑務所に特高課長らが乗り込んで来た時には文子を守ろうとします。

まだ少女の強盗犯の女囚ヤスエは文子を「姉さん」と呼び慕います。
文子はヤスエに本を読み自分の考えを書くよう勧め、持っていた万年筆を手渡します。もうこの場面で文子の死を予感しました。

どこまでも一途な文子が悲しいです。

私なんか忖度しまくりです。何事も辛抱我慢で生きてきました。

のちに朴烈は思想転換したと知り、「おいおい」と思いました。

監督は浜野佐知さん、文子役は菜葉菜さんです。

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