最近の話し「昭和時代の会社の飲み会」本当は辛かった。私はまだ18才でした。

その他あれこれ

久しぶりに友人に会って新豊洲にある「チームラボプラネッツ」に行きました。道中、昔話に花が咲きます。彼女とはSMAPコンサートにも一緒に行っていましたが、中居クン(クン付けするような年令ではありませんが昔からこう読んでいたので)のせいで、もう再結成は無いだろうという話しになりました。

人気グループは年令を重ねてから再結成することが多かったので、SMAP解散時もわりと楽観的に考えていました。
沢田研二さんがいた「ザ・タイガース」は、2013年になんと44年ぶりにオリジナルメンバーが集まり、コンサートを行いました。ドラム担当の瞳みのるさんは解散後に学校の先生をしていたのですが、定年を機に芸能界へ復帰して「ザ・タイガース」に参加し、ファンを喜ばせてくれました。

そんな成功例を見ていたわけですが、性加害が本当だとしたら芸能界復帰はもう無理でしょう。

ゆりかもめから見えるフジテレビの球体が、何だかふざけて見えます。出来たばかりの頃は斬新だと思いましたが、今見ると受け狙いに思えて、あんなもの造るから生ぬるい体質になったような気がします。

世の中まだまだ男社会を感じます。
「女子トイレが少ない問題」も、「災害時の生理用品配布の問題」も、男性だけで計画されたせいではないでしょうか。

男女雇用機会均等法が出来たのは1985年昭和60年、私が高卒で社会人になったのが1981年昭和56年ですから、男女差別は当たり前でした。パワハラ・セクハラなんて言葉もなかったと思います。

当時は社会に出れば未成年であろうと、飲酒喫煙は私の周囲では全く問題ありませんでした。
入社して飲み会では一番偉い人の隣に座らされ、頃合いを見て全員にお酌をして回ったり、二次会では上司とチークダンスを踊ったり、本当は嫌でしたが当時はそういうものと我慢していました。
まだ世間を知らない新人は、部署の先輩の指示に従うのみでした。

作家の酒井順子さんは会社員時代に、親から「飲み会でお酌をするな」と言われたそうです。「お酌は酌婦がすること」、たしかそんな言い方だったと思います。なので、親の言いつけを守り、酒井さんは一切お酌をしなかったそうです。目から鱗です。

最初の会社を辞めてから酒井さんのその本を読んだので、その後勤めた会社の飲み会では頑張らず適当にお酌するようにしました。今は気がつかない振りをして、全くしません。

若い女である私がお酒を飲むと男性たちが喜ぶので、それに応えようと必死でした。

お酒が苦手な体質で飲むと頭が痛くなるのですが、お酒が強い方が格好いいと当時は勘違いをして、相当無理をしていました。

当時の私に伝えたいです。「お酒は飲めなくてもいいんだよ。お酌はしなくていいんだよ。嫌な上司とチークダンスも踊らなくていいんだよ。飲み会も絶対参加じゃないんだよ。苦手なカラオケも断っていんだよ。」と。
18才の私、19才の私、20才の私、よく頑張ったよねと言いたいです。

先人たちが男女差別を無くそうと色々努力してきてくれましたが、まだまだ問題はあります。

最近になりようやくセクハラについて、会社の責任を問われるようになってきました。

昭和56年か57年くらいの時、職場で上司からセクハラをうけました。翌日年上の女子社員に話すと「遅くまで残業していたあなたが悪い」と言われました。
当時は隙を見せたあなたが悪いと言われていたのです。

嫌な記憶はなかなか忘れられません。

もう昭和時代はとっくに過ぎ去ったのですが、会社のトップや社会の偉い人は、まだまだ昭和時代の人ばかり。古い考えは一掃して令和時代に合った考えを上に立つ人は身につけてほしいです。

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