私の初恋の人、ジュリーこと沢田研二さん。高村薫さんの「墳墓記」を読んでいたのですが、つい寄った本屋でこの本を発見し、先にこちらを読んでしまいました。
沢田研二さんに関する本はたくさん出ていますが、この本は1980年から1985年の間だけ、著者のスージー鈴木さんがいうところのキレッキレの時代のクロニクルです。私の思い出とともに振りかえりたいです。主にシングル曲のみ書いています。
1980年昭和55年は「TOKIO」から新年が明けました。初めてテレビで見たとき、パラシュート込みの衣装で電飾がキラキラして度肝を抜かれました。年末の紅白では「カサブランカ・ダンディ」を歌っていたのに。さすがジュリー、こんなの誰にも真似できない、世界の最先端を行ってる、と思いました。
ただ、YMOの「テクノポリス」が収録されたアルバムが1979年秋に発売しており、なんだか二番煎じのような気がしたのは残念です。
でも実際は1979年11月発売のアルバムには収録されていて、プロデューサーの加瀬克彦さんが先行シングルを「TOKIO」にしたいと言ったにもかかわらず、本人が「ロンリーウルフ」がいいと譲らず、1980年1月発売となったと書かれています。
頑固なジュリーのこと、絶対に譲らなかったんだろうと容易に想像がつきます。もし秋に発売していれば、テクノポップを取り入れた時代のさらに最先端だったに違いありません。私は「ロンリーウルフ」も好きですけどね。
4月「恋のバット・チューニング」です。さらに派手になっていきます。当時誰も見たことないカラコンをして、白と黒の縦縞の衣装で、ヘンテコなエレキギターをぶら下げています。
「酒場でDABADA」「おまえがパラダイス」と、少しだけ控えた曲が続き、この後ドカンと1981年「ストリッパー」が出ます。歌番組では必ず前から風が吹き、衣装のスカーフがなびきます。歌詞が全面にオトコを出して、より一層色っぽいです。
そして1982年。「麗人」「おまえにチェックイン」「6番目のユウウツ」と続くのですが、この年も見事に他の追随を許さないキラキラの沢田研二を演じきります。著者のスージー鈴木さんはこの年を「やりたい放題」と書かれていますが、まさにその通りです。「麗人」のジャッケット写真はバックが旭日旗のデザインで、現代だったら韓国中国が黙っていないでしょう。「6番目のユウウツ」では、さらには三つ編みまで下げて、女性コーラスが「愛してラブコーラブコー」と奇抜でした。
アルバム「MIS CAST」は、井上陽水さんが全曲作詞作曲した、スージーさん曰く「問題作」だそうです。そのアルバムの中から特におすすめなのが、「ジャストフィット」という曲です。
スージーさんもお気に入りで何度も何度も聴いたそうです。コンサートで毎度盛り上げるロックな曲、私も大好きです。
「女は俺の横にすべりこみ……ワゴンで暮らしている」「女が俺にささやく」「いいのよ、このまま、2人はジャストフィットなんだから」という陽水さんの歌詞が怖くて背中がゾクゾクします。
1983年1月、シングルカットされた「背中まで45分」は私にとっては少々まどろっこしさを感じました。なんだか眠くなるような曲でした。
その年5月、またしても凄い曲が現れます。「晴れのちBLUE BOY」です。
パーカッションとドラムの音が前面に出ていて、意味不明の歌詞とともに、今まで聴いたことがない程かっこいいのです。音楽をあれこれ語る程の語彙力がないため、「かっこいい」で片付けてしまい申し訳ございません。とにかくイケてるのです。
でも、ジュリーのギラギラした騒々しさが、ここから徐々に大人しくなっていきます。
同年9月、「決めてやる今夜」
元々は沢田研二さんが作詞作曲し内田裕也さんに提供したのですが、曲と編曲をプロに依頼して作り変えたという曲です。この事はこの本を読んで初めて知りました。
2009年の内田裕也さんとのジョイントコンサートにも行きました。白髪ロン毛で白のジャケットを着て、ステッキを持った裕也さんが魅力的でした。樹木希林さんもステージに上がり、とても楽しいコンサートで思い出に残っています。ちなみに内田裕也さんのアルバム「さらば愛しき女よ」も若い時買って聴いていました。
1984年のシングルは「ドン底」「渡り鳥 はぐれ鳥」「AMAPOLA」を発売。見た目より歌唱力で勝負っていうイメージです。世間は若いアイドルが活躍し、多分ジュリーも年令を感じたかもしれません。残酷ですが、大衆から次第に飽きられてきた気がします。でも歌の上手さがより際立ち、特に「AMAPOLA」は聞き惚れてしまいます。私は「ドン底」が好きです。
そして独立し個人事務所を設立します。
1985年8月「灰とダイヤモンド」発売。メイクも薄くなりました。
このころからあまりテレビに出なくなります。大手プロダクションから独立したことで、色々あったのかもしれないです。週刊誌になんだかんだ書かれましたが、ライブ中心になっていきます。
ビジュアル面を早川タケジさんが担当していたのは、本当にラッキーだと思います。私ごときが大変失礼ですが、世界観が素晴らしくジュリーに合っていたと思います。コンサートのパンフレットの写真が美しかったです。値段が高くてあきらめた、早川タケジさんの写真集が俄然欲しくなりました。
バックバンドも一体となって、楽曲をさらに高めていたと思います。ベースの吉田建さんは長身なのでステージ映えがして、後ろから援護射撃をしているようでした。
この本はシングル曲もアルバムの曲も、ザ・タイガースの曲まで網羅されていて、敬服いたしました。カラーページの「スージーコレクション一挙蔵出し!」も嬉しいです。沢田研二さんへの愛は本物だと確信します。
著者:スージー鈴木
発行:日刊現代
発売:講談社

↓1985年発売の初の自叙伝「我が名は、ジュリー」本屋で予約して購入しました。
年月が経つのは早いですね♪

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