映画&本「ジョニーは銃をとった」または「ジョニーは戦場へ行った」戦争は怖い。戦争反対!絶対イヤー!

映画

今年の夏、戦後80年の企画として、「ジョニーは戦場へ行った」というアメリカの映画がリバイバル上映されました。

1939年に発表された小説が原作で、1971年に作者のダルトン・トランボが自ら脚本・監督し映画化したものです。

日本で小説が出版された時の題名は「ジョニーは銃を取った」で、映画の邦題が「ジョニーは戦場へ行った」です。

映画は、カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞し、他にも数々の賞を受賞しました。

主人公のアメリカ人兵士ジョー・ボーナムは第一次世界大戦で徴兵され、爆撃によって手足と目鼻耳口を失い、胴体と頭だけになります。

意識を取り戻しますが、絶望的な身体になってもなお生きなくてはなりません。手足が無く自殺も出来ないのですから。

夢をみては目覚めて、過去と現在を行ったり来たりしながら、次第に自分自身の身体や周りの状況を理解していきます。

そしてモールス信号を思いつき、孤独の中で他人とコミュニケーションをとろうとします。

そのことにたった一人の看護師が気付き。。。やがてジョーは戦争を始めた国の指導者に怒りを募らせ。。。という話しです。

中学3年の時に原作「ジョニーは銃をとった」を読み、20代の頃に映画「ジョニーは戦場へ行った」をレンタルビデオで観ました。

映画では、ジョーの記憶の中の出来事はカラーで、現実はモノクロで描かれています。
20代の時の映画の記憶としては、モノクロでずいぶん暗くて悲惨だった印象があるのですが、今回観ると意外にカラーの鮮やかなシーンも多かったのだと気づきました。

恋人のカリーンがなんて可愛らしいのでしょう。すっかり忘れていました。
彼女は「行かないで。逃げて。殺される。そうに決まっている。」と、不吉なことを言いますが、徴兵されて行かないわけにはいきません。

映画を観たのを機に、新訳が発売されていたので再び読んでみました。

最初から最後までジョーの独り言で書かれています。夢や過去の思い出も、現状を知る様子も一切他人の視点がありません。

映画では描かれなかったエピソードが小説にはいくつも書かれ、まるでジョーが実在していて、彼の実録を読んでいるかのようです。

小説も映画も最後は悲しくてやりきれません。

小説の最後は、「なんでだ?なんでだ?なんでだ?」と嘆き、政治家を「熱烈な愛国者」と言い、「死ぬのはおまえらだ」と、国の指導者により激しい怒りを向けます。

戦争は永遠に続くのでしょうか。

人類が絶滅するまで戦争は無くならないのでしょうか。

どうしていつも普通の生活を送っていた人々が死ななくてはならないのでしょうか。

もし神様が願いを1つ叶えてくれると言ってくれたら、私は迷わず「世界平和」と答えます。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
応援クリックしていただけると励みになります。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

#ジョニーは戦場へ行った #ジョニーは銃をとった #ダルトン・トランボ #戦後80年企画